はじめに
お正月になると、玄関先やお店の前に飾られる「門松」。 立派な竹が3本、スパッと斜めに切られていて、見た目も勇ましいですよね。
しかし、昔の門松は、今のようには切られていませんでした。 竹の節(ふし)のところで水平に切る「寸胴(ずんどう)」という形が一般的だったのです。
では、なぜ現在のような「鋭い斜め切り(そぎ切り)」が主流になったのでしょうか? そこには、天下人・徳川家康の、ある武将に対する「殺したいほどの恨み」が隠されていたのです。
惨敗した家康の悔しさ
時は戦国時代。 徳川家康は、「三方ヶ原(みかたがはら)の戦い」で、最強の武将と言われた「武田信玄(たけだ・しんげん)」にコテンパンにやられ、人生最大の惨敗を喫しました。 (恐怖のあまり脱糞しながら逃げ帰ったという逸話があるほどの負けっぷりです)。
命からがら城に逃げ帰った家康ですが、悔しくて悔しくてたまりません。 そんな時、家臣がお正月の門松用にと、竹を切って持ってきました。
「武田(竹)の首を斬る!」
家康は、その竹を見るなり、 「武田(=竹だ)の首を、こうやってへし折ってやるわ!」 と叫び、刀で竹を「斜めに思いっきり斬り落とした」のです。
- 竹(たけ) = 武田(たけだ)
という語呂合わせで、憎き宿敵・武田信玄に見立てて、首をはねるように斬りつけた。 これが、門松の竹が斜めになっている恐ろしいルーツだと言われています(これを「そぎ」と言います)。
関東と関西の違い
この逸話から、徳川家の影響が強い関東地方を中心に「斜め切り(そぎ)」の門松が広まりました。 「次は絶対に勝つ!」という必勝祈願の意味も込められるようになったのです。
一方で、関西地方などでは、昔ながらの平和な「水平切り(寸胴)」の門松も多く見られます。 銀行などの金融機関も、「お金が詰まる(貯まる)」ようにと、あえて寸胴(節で切って蓋がされている状態)を選ぶことが多いそうです。
まとめ:執念が形になった
- 門松の竹が斜めなのは、徳川家康が始めた
- 宿敵「武田(竹)」の首を斬るという呪いの意味だった
- 本来は水平に切る「寸胴」が一般的だった
- 関西や銀行では、今でも水平の門松が見られる
お正月に門松を見かけたら、竹の切り口をチェックしてみてください。 もし斜めに切られていたら、「ああ、家康さんがブチ切れた跡だな……」と歴史のドラマを感じてみてください。


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