はじめに
「じぃ〜んせい、楽ありゃ苦〜あるさ〜♪」 日本人なら誰もが知っている時代劇の金字塔、『水戸黄門』。
ご隠居様(徳川光圀)が、助さん・格さんを連れて日本全国を旅し、葵の御紋(印籠)で悪を成敗する……。 あの痛快なストーリーを、史実だと思っていませんか?
実は、歴史上の徳川光圀(みつくに)公は、「諸国漫遊」を一歩もしていません。 それどころか、生涯のほとんどを「水戸(茨城)」と「江戸(東京)」の往復だけで過ごした、現代でいう「超インドア派の学者肌(歴史オタク)」だったのです。
旅をしたのは「家来たち」
では、なぜ「旅」のイメージがついたのでしょうか? それは、光圀公がライフワークとして行っていた「大日本史(だいにほんし)」という歴史書の編纂(へんさん)事業が関係しています。
光圀公は、日本最大級の歴史書を作るため、 「お前たち、全国に行って資料を集めてこい!」 と、多くの家来や学者を日本各地に派遣しました。
この時、実際に全国を歩き回った家来たち(佐々介三郎=助さんのモデル、安積澹泊=格さんのモデル)の報告レポートや苦労話が、 「うちのご隠居様が旅をした話」 として庶民の間で脚色され、後の講談や物語のベースになったと言われています。
つまり、水戸黄門は「旅人」ではなく、本社(水戸)で部下からの報告を待つ「編集長」だったのです。
悪人を成敗した?
「じゃあ、印籠を出して悪代官を成敗したのは?」 残念ながら、それもフィクションです。
光圀公は水戸藩の藩主(後に隠居)であり、将軍の親戚という超VIPです。 そんな重要人物が、お供を二人連れただけで無防備に諸国を歩くことはあり得ませんし、地方の行政に口出しして成敗することも権限外です。
しかし、彼は名君として知られ、領内のインフラ整備や貧民救済には熱心でした。 そうした「名君としての人気」が、「悪い奴をやっつけてほしい」という庶民の願望と重なり、ヒーロー像が作られていったのです。
実は「新しいもの好き」の食通
旅はしませんでしたが、光圀公はものすごい「食通」でした。 外国の文化に興味津々で、歴史書によると、以下のようなものを「日本で初めて食べた」と言われています。
- ラーメン(中国の儒学者から教わった中華麺)
- 餃子
- チーズ
- ヨーグルト(のような乳製品)
引きこもって歴史書を書きながら、当時としては最先端の海外グルメを楽しんでいた……。 ドラマの質素なイメージとは違い、かなりハイカラで好奇心旺盛なお爺ちゃんだったようです。
まとめ:旅する部下と、書く上司
- 水戸黄門(徳川光圀)は、実際には「諸国漫遊」をしていない
- 生涯のほとんどを水戸と江戸で過ごした
- 歴史書「大日本史」を作るために、部下(助さん格さん)を全国に派遣した
- その部下たちの旅の話が、いつしか「黄門様の旅」として伝わった
- 日本で初めてラーメンや餃子を食べた人物としても有名
「この紋所が目に入らぬか!」 あの名台詞は言わなかったかもしれませんが、日本の歴史をまとめるために部下を走らせ、中華麺をすする光圀公の姿。 それはそれで、ドラマ以上に魅力的でファンキーな人生だったのかもしれません。


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