はじめに
海外でも「HOKUSAI」として絶大な人気を誇る、浮世絵師・葛飾北斎。 あの大波の絵(『神奈川沖浪裏』)は、誰もが一度は見たことがあるでしょう。 さぞかし、美意識の高い、洗練されたアトリエで絵を描いていたのだろう……と思いますよね。
そのイメージ、完全に間違いです。 実際の北斎は、「服はボロボロ」「部屋はゴミまみれ」の、とんでもない「汚部屋(おべや)住人」でした。
掃除をするくらいなら「引っ越す」
北斎は、絵を描くこと以外には驚くほど無頓着でした。 特に「掃除」と「片付け」が大嫌い。
食事は出前や買ってきたものを食べ、その包み紙や食器をそのまま床に放置。 ゴミが散乱し、服も着替えず、シラミが湧いてもお構いなし。 そして、部屋がいよいよゴミで埋め尽くされて住めなくなると、彼はこう言いました。
「よし、引っ越そう」
掃除をするのではなく、「家ごと捨てる(乗り換える)」というパワープレイで解決していたのです。
生涯で「93回」の引っ越し
この「ゴミが溜まったら引っ越し」を繰り返した結果、その回数は生涯でなんと93回に達しました。 (※1日に3回引っ越したこともあるという伝説すらあります)
ある時、北斎の部屋を訪ねた人の記録によると、 「部屋の隅にはゴミや食べかすが腐って積み上がり、異臭を放っていたが、北斎は気にする様子もなく絵を描き続けていた」 そうです。 あの美しく繊細な富士山の絵は、実は「ゴミ屋敷の悪臭」の中で生まれていたのです。
名前も「30回」変えた
飽きっぽいのは家だけではありません。 彼は自分のペンネーム(画号)も頻繁に変えました。 「北斎」「為一」「画狂老人卍(がきょうろうじんまんじ)」など、その数およそ30回。
さらに、お金にも全く執着がなく、幕府から高額なギャラをもらっても、封筒を開けずにそのまま米屋のツケの支払いに投げ渡したりしていました。 「絵が描ければ、家も名前も金もどうでもいい」 という、清々しいほどの芸術バカだったのです。
まとめ:天才の裏側は汚かった
- 葛飾北斎は、掃除が大嫌いで部屋をゴミ屋敷にしていた
- 部屋が汚れるたびに引っ越しを繰り返し、その数なんと93回
- 食事のゴミや異臭の中でも、平気で美しい絵を描き続けた
- 名前も30回変えるなど、絵以外のすべてに無頓着だった
現代ならテレビの「ゴミ屋敷清掃スペシャル」に出演間違いなしの北斎。 美術館であの大波の絵を見る時は、「この絵の作者、実はめちゃくちゃ臭かったんだな……」と思い出してみてください。 天才への親近感が一気に湧いてくるはずです。


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